昨日の朝は雲ひとつなく、庭の草花に朝露がキラキラと光り一面が輝いていた。自然がもたらす造形の美しさに、人は敵わないなぁと感じる。そんな自然界の中に組み込まれている人間は、常に謙虚になって自然から学ぶことが多いはず。
人と向き合っていると視点が近くなって大事なことを見落としがちだけれど、ふっとカラダの力を抜いて目を外に向けると視野が広がり今までの近かった視点がぼやける。そして、ぼやけた外に今まで見えなかったモノがはっきりと見えてくる。それは、視点を変えたことで相手への見方が変わるから、煮詰まってしまった対応を別の角度から見て変えてみることができる。そして、それは自分も相手も楽になるひとつの方法だ、と私は思う。
今日は、母がデイサービスに行く日なので私は起きていた母に「今日はデイサービスの日だよ」と伝えた。私は、本人のために自分でできることは手伝わないことにしている。朝食の準備もできているが、母はなかなかやってこない。まぁ、準備に時間がかかるから、と私は時間ぎりぎりまで待っていた。すると、普段着でやってきておはよう、と母はごきげんだ。私は、あ、また着替えなくちゃいけないじゃない、と内心思い不機嫌になる。それからは、検温、食事、着替え、と私はスピードアップして母に促し、やっと間に合ったと思ってホッとしたのもつかの間、母は、トイレに行きたい、乳液をつけたい、とまた部屋へ逆戻り。もう、玄関先にはデイサービスのスタッフの方がニコニコしてお待ちだ。も~~~~、私は、はいさっさとして!と追い立てるように母を送り出してしまった。
母が出掛けたとたん、私はフーッと深いため息をつき椅子に崩れ落ちる。なんか、甘いもんが欲しいと身体がいうのでとっておきのチョコを取り出して3粒食べ、コーヒーをグッと飲んで一息入れた。そして、今朝のことを思い返してみた。
私は、時間通りに母をデイサービスに送り出すことに懸命だった。これはこれで良いが、問題は内容だ。人は誰でも自分なりのペースがあるし、ルーティーンもあるのでそれを外してしまうと納得せず出掛けることになる。特に、母の場合は心配性なのでずっと心配事を抱えながら一日を過ごすことになり、母の中でそのことに囚われてしまい時間が止まってしまう。
・・ということを私はわかっていたはずだったのに、その大事なポイントを抑え切れなかったのは、私が母とガッツリ向き合う覚悟が足りなかったんだと思う。だから、問題は相手にあるのではなく、自分自身にあるのだ・・と思えたら丹田がしっかりしてきて身体が楽になった。
*ちなみに昔の私だったらストレス状態の時、チョコ3粒では足りずなくなるまで食べていた。その頃は、食べ物と身体の関連性を知らなかったので身体を壊すまで食べていた。そう思うと自分も成長したなぁ、と感慨深い。